2019年4月4日20:35、
このブログの顔でもありましたレイン君が旅立ちましたことをここに記します
彼の名前はRain`Roy'Brown
ブリーダーさんから我が家へやってきた日がドシャブリの一日で高速の帰路にどんな名前を付けてあげたらよいかを話ししていた時に、雨の日にやってきたことを忘れないようにと、Rain(レイン)の名前の候補があがりました。生まれたばかりだったからか、ソルト&ペッパーなのに、茶色の毛がかわいくて、この名が付きました。そして家についた時に、慣れない環境にきっとオドオドしていた彼を、レイン君と呼んであげるとヒョコヒョコと近寄ってきてくれて、そして肌が触れたときに彼はきっと我が家の一員になったのでした
プライベートなことですが、なぜワンちゃんをほしかったかというと、我が家の長女、長男は早くにこの世に生を受けたのですが、次男は一回り離れた世代にに生まれてきましたから、姉や兄が一人立ちして家を離れたら、兄弟一人になるので、末っ子には子供に近い家族が必要だと思ったからでした、そして彼は我が家の一員となり、我が家にやってきて、私たちの思惑を超えて家族の太陽になってくれました
随分と彼には不安があったことでしょう、仕事柄自宅に長時間いるのは私でしたから、足元にじゃれ付いたりご飯を要求するのも私に対してでしたし、何より話ができたのは私だったと思います
かれはおとなしい性格でしたが、慣れない相手に対しては結構怒り易い性格で、トリミングをお願いしても後から聞くと結構大変なヤツだったようです、実際トリミングをお願いするのにトリマーの方にお渡ししようとしたときに何度強烈に噛まれたことか
僧帽弁不全ということが分かったのは、長女の家族がやってきたときに、まるで外敵が現れたの如く興奮して突然倒れたときでした、これまで元気だった子がいったい何が起こったのか分かりませんでしたが、まったく不勉強であったことを後悔しています
仕事でご縁のあった動物病院の先生にメールで状況を報告してご相談したところ、ワンちゃんには宿命的に起こりやすい病気であることを初めて知りました、そこから色々ネットで調べましたが、まずは近隣の動物病院を調べて診察を受けることが第一です、近くにたまたま心臓病の権威の先生がいらっしゃることを教えていただき、病院に連れて行くことにしました
亡くなる1か月前のレイン、あごの下には大好きなクマさん、あごの下に何かあると安心するようでした
これは3年前くらいに大好きなクマさんとじゃれあって、疲れて寝ているレイン
僧帽弁閉鎖不全症というワンちゃんの宿命的な病気については手術以外にできることはその病気を進行させないことで、薬物療法しかありません、レインはそれで随分安定しました、ただ本来の性格なのか、滅多に接することのない子供たちと接すると本能の縄張り意識が働くのか、興奮したり、室内でも想像のつかないところでマーキングしたりしました
高齢になるにしたがって、そんなことがない普通の日常でも歩きながらでも当初トイレのしつけしたところ以外でも、部屋中どこにてもマーキングするようになりました、それを私たちはレインが仕掛けた「ワナ」だと楽しむようにしていました、但しかなりの量のペットシートや消臭剤や消毒剤が消費されたのは、ワンちゃんと過ごしておられる方でしたら想像していただけるでしょう
かなり症状が進んだころ、彼が我が家にやってきたころの唯一の兄弟「さっちゃん(ベージュ)」と「ジジ(黒い方)」と一緒に元気づけながら撮ったもの
足腰が弱ったのか、フローリング足を突っ張ることが難しいらしく、楽な姿勢でいるときは四肢を投げ出すような姿勢が多くなりました、爪が伸びるとなおさらです、彼は爪を切るのが大の苦手で、自宅では切れないので、病院に行ったときに爪切りはお願いしていました、フローリングは当初のコーティングもすっかりなくなって、無垢の状態ですが、その方が彼にとっては良かったので、荒れたままにしていました
爪切り以外に、レインが部屋の中で過ごしやすくするためにと、100均で売っていた、何度でもはがして使える、しかもそのまま洗濯もできる300角のフロアシートです、シックな色合いで何色かあるので、フロアカーペットとしてデザインしながら設置できるし、これは優れものです! 毛足がペットの足元としては長い方です
おかげでレイン君は足腰に余分な負担をかけることなく、歩き回れるようになりました
写真のシートは市松に色替えした貼ったものです
ほぼ平成の半分を私たちの家族として生きてくれたレイン君です
途中腎臓の悪化で、もう覚悟しなければならないと思ったこともありました
それでも病院の先生の処方で何とか立ち直り、今まで元気でいてくれました、天国へ召される1日だけはしんどい日だったと思います
病院の先生が以前からずっと、心臓は驚くほど大きい、と苦笑しておられました、でもレイン君が元気なので、私はそれは彼が自分の体内状況に対応しているのだと言い、きっと先生も冗談で受け止めていただいていたのだと思います
嘔吐したり倒れたり、ということさえ比較的慣れてしまって、すぐに復活するので、それはそれで、まだまだ元気な証拠、と楽観していたこともありましたが、
心臓が驚くほど大きいという先生のお話の真意は、体に送られるべき血液が心臓にたまってしまって、それが心臓外に出て行って、腹水になり、一番怖いのは肺に水が溜まることなのだと、以前から警告されていたにも関わらず、そんな状態が一気に進むとは夢にも思わなかったのでした
レイン君の息が苦しそうだと思ったのは彼が亡くなる2日前からでした、それまでも時々息苦しくなることはありましたが、それは一日の中でもほんの少しだったので気にしてはいませんでしたが、2日前、息苦しくなる回数が目に見えて増えてきました、そして亡くなる日、午前中から次第息が荒くなり、だんだん破れた露出のスピーカーのコーンを通して音が出ているような、そんな感じの息づかいになっていき、その日の午後はずっと私たち夫婦でマッサージしたり、姿勢を変えてみたり、色々試しましたが、彼は一向に楽にはなりませんでした
夕刻、もうこれは覚悟しないとと思っていたころも私は仕事で電話のやりとりでひっ切りなしでしたが、妻が突然号泣しはじめたので、もしやと思って行ってみたら、幸いにもレインはまだちゃんとしていて、聞いてみたらあまりにも可哀そうで、と心があふれたようでした
それから2時間もたたなかったでしょうか、妻はレインを抱っこして、私は手足をスリスリしてあげながら、彼の息は破れたスピーカーから回復せず、
二人でこれまでありがとうと感謝の言葉をひたすら叫び伝えるだけでした
夜、そんな状態のとき、お迎えが来ているような気がして、レイン君に、
もうそんなに頑張らなくてもいいんだよ、これまで本当にありがとう、もう楽になっていいんだよ、と声を掛けました
そうすると彼は察したようにだんだん息が少なくなってきて、1分くらいでしょうか息をしなくなりました、表情は全然変わらず、目もあいたままでしたから、亡くなったとは思えず、でも妻と一緒に心臓も動いてないことも確認しましたから、それは彼が天に召されたのだろうと何となく理解したのでした
妻はレイン君が急に軽くなったと言いました、もしかすると魂にも質量があるのかもしれません
何よりも私たち二人で彼を看取れたのが幸せなことでした
もう何度も彼がこうなることは、1年以上前に腎臓が悪くなり、同じような状態になった時にも覚悟していましたので、突然の出来事とは思えませんでしたが、意外と冷静に、妻は夜中でしたが、お供えの花を買ってくると涙ながらに出かけました、その前にレイン君をお棺に入れてあげないと、と話をしていましたから、適当なダンボール箱を探して私が納棺する役目になりました
段ボールへの納棺がいいのかどうかは分かりませんが、それが私たちにその時にできたベストだったのです、私はメモリアルの墓標を記しました、色々体液が出るだろうからと、下にペットシートを敷き詰め、周辺には保冷剤を入れることができるように、さらにペットシートを裏側に2重折にして巻き込みました、妻が帰ってきて買ってきた花と、その日にこれも妻が鳥が落としのかもしれないときれいな桜の花を拾ってきていたのを顔の周りに供えました
その次に大事だったのは、彼をどのように葬ってあげることか、ということでした、命を長らえるためにやれるだけのことはやってきたのですが、いざ亡くなったとなると、その先どうすればいいのか全くわかりません
直観的に、1年前に逝去した叔父の葬儀の経験で偶然見たペットの火葬に訪れていた家族の記憶から、市内の焼き場に問い合わせること、で調べてみると火葬は受け付けてくれるらしいのですが、お骨とかは残らないらしいこと、その他にもペットの葬儀をネットで調べてみましたが、どれもいいことはたくさん書いてあるのですがあまりにも高額で、手順も良く分からないしいろいろ???だったので、くたびれてやはりとまれ、市の焼き場に行こうか、ということで葬儀をしようということになりました
高齢のペットがおられる方ならご承知かと思うのですが、最初にペット保険にでも加入していない限りは、ペットの医療費は全額負担で、ちょっと見ていただくだけでもその医療費はバカにはならない金額です
それは命には替えられないから、家族と同じように何よりも優先して捻出してきたものなのです
市の焼き場の情報を確認して、明朝一番で、焼き場のスケジュールを確認してお互いの仕事のスケジュールを調整して、なんとか葬儀をしようと話合いました
彼の兄弟だった次男もほどなくスタジオから帰ってきたのですが、その話をしたのちに彼はレインの別の葬儀の方法をネットで調べて提案してくれました、葬儀にかかる費用も、サービスの割には信じられないくらい良心的です、ちなみレインは14歳という高齢でしたから、もともと兄弟だったというよりも、次男よりもずっと高齢のおじいさんだったということは書いておきます
次男の提案してくれた連絡先に早朝電話して(24時間受付けだったので)、その日の夕方18:00に自宅に来ていただくことになりました
移動焼却炉を備えた独自の出張葬儀をしてくれるところでしたので、そのシステムには驚きましたが、実際その日の17:00には私ははずせない打合せがあって、妻も午前中はずせない仕事で、次男も終日仕事を休むわけにはいきません、そんな中での葬儀ですから、出張で来ていただいた上に
出張火葬までしていただけるのは、本当にありがたかったです
18:00にきていただいためるもさんは、私たちのつたない段ボールから専用のバスケットへの納棺にしていただき、新しいお花も加えて供えていただき、読経による葬儀をしていただき、そこから屋外での火葬となりました、
火葬はお任せでしたので(立ち会うコースもありましたが)20:00には終わるとのことでしたが、実際には21:00となりました、満開の桜の下での火葬であったことや、のどぼとけの写真などの様子も見せていただき、こうして心温まる火葬も終わり、お骨は全て骨壺に入れて手元に帰ってきたのでした
その後のことはもう記す必要はないでしょう
ただ、レイン君と出会って、彼が平成の半分を私たちとともにいてくれたことに心より感謝するとともに、彼が初めて倒れたときに親身になって相談にのっていただいたかわかみ動物病院の川上先生、そして広島でもペットの心臓病の権威である偶然近くにおられた、紹介いただいたベイ動物病院の荒蒔先生、荒蒔先生には、長くレインを診ていただき、レインと過ごせる長い時間を与えていただきました、そして最後に多忙の私たちの無理なスケジュールに合わせて、私たちの心に沿った、いやそれ以上に心をくだいていただいた葬儀を執り行っていただいた「めるも」さん、他多くの方々に心より感謝いたします
私たちの勝手ですがお世話になった方々に敬意を表して、ご紹介を兼ねて
WEBサイトをご案内させていただきます
●かわかみ動物病院
●ベイ動物病院
●広島ペット移動火葬セレモニー めるも
レイン君は「令和」の年を迎えることはできませんでした
レイン君の初七日を経て、今思うことは、彼の生まれ変わりの新しい家族との出会いがきっとあるから、それを見落とさないようにしよう、ということ
そしてレイン君が残してくれた足跡や思い出は、本当に温かいものばかりで、スイートメモリーとして私たちの中に生き続けること
これだけは間違いのないことです
Yahooのこのブログも今年いっぱいでサービスを終えるそうですが
この記録は残さなければと思っています
どのブログに移行すればよいのでしょうか?
ブログのサーバーご担当の方がいらっしゃいましたら是非教えていただきたく思います
時代は巡り変わります、このIT社会がこのまま進む以上に
きっともっと違う次元に移行することも疑う余地はないでしょう
でも大事なのは心と魂、それは目には見えないものです
人々の生まれては消えるその瞬間の悲喜こもごも
レイン君が天に召されたことはそのほんの一部でしかありませんが
きっとこれも何かを気付かせてくれるきっかけでありましょう
それが目の前に訪れたことを生も思い出も死もすべてに感謝いたします
/may 2019.4.14